お母さんであり
ピアノの指導者であり
プレイヤーでありたい…
明日はピアノ工場の見学の話へと
進みます
と昨日のブログを
締め括りましたが
まだまだ大切な方がおられました
一人一人を丁寧に
生涯にわたって
ピアノを楽しむことを実現
習い事も多様化の時代
その中
ピアノを習うと
どんな良いことがあるのか?
その魅力を発信
長野県諏訪市にある
きたざわ ゆみこ音楽教室 です
(#1825日目)
こちらのブログでは
ヤマハの創設者の
山葉寅楠様のことを
本日は
河合楽器製作所の創業者である
河合小市様のことを
私も復習を兼ねて
綴ってみたいと思います…
現在では
ライバル会社と言える
日本の2大楽器メ−カ−
ヤマハ&カワイ
その繋がりは
経営者と技術者であって
お二人が師弟関係という
強い絆で結ばれたことから
始まりました
その関係はまさに
ピアノのレッスンにも通じます
河合小市さまは明治19年1月5日
江戸時代から続く
車大工のお家に生まれました
山葉寅楠さまが設立した
『山葉楽器製造所』に
明治30年に入所
なんと年齢は11歳
11歳ってどういうこと
ってちょっと状況が掴めないのですが
お父様を早くに亡くされて
幼少期の頃から
物事の仕組みや成り立ちに
興味を持つ少年で
とっても探究心旺盛で
特にメカニックへの興味と探究心が
際立っていました
だから
そんな話を耳にすれば
小市少年の好奇心は
黙っていなかったのでしょうね
山葉寅楠さまによって
小市少年の生まれ持った才能が開花
このお二人の
楽器への熱い熱い想いと情熱が
あったからこそ
現在
世界の大きな舞台で必要とされるまでに
日本の楽器製造が成長したことが
わかります
このお二人の
運命的な出会いが
あったからこそ
実現したのですよね
小市少年は
才能を発揮したので
「発明小市」なんて呼ばれ
あっという間に
人々に知られる存在となったんです
明治33年
山葉楽器製造所で
第1号の国産ピアノが完成
打鍵するハンマ−は
弦を叩く
ピアノの心臓部になりますが
その重要な
アクション部分は
輸入品でした
当時は
海外の技術は
公開されていなかったので
その重要なアクション部分を
どうしても
日本で作ることができなくて
その中寅楠さまは
国産のアクションの開発を
小市さまに任せました
そして難題ではあったけれど
アクション作りを
実現することができて
明治36年
純国産ピアノが完成されました👏👏👏
日本の楽器製作が
大きく前進した
できごとです
大正5年
山葉寅楠さまが死去
小市さまは
日本楽器と改称した
製造所の技術部門の
最高責任者となりました
けれど
大きな転換期がやってきて
いろいろな状況から
寅楠さまの後を継いだ
新社長が辞任したことを機に
小市さまも会社を退職
そして
いよいよです
小市さまを慕って集まった
技術者の皆さまとともに
昭和2年
河合楽器研究所を設立
昭和3年
グランドピアノの製造を開始
昭和4年
河合楽器製作所と改称
こうして
2大楽器メ−カ−が誕生
切磋琢磨の中
日本で質の高い楽器が
次々と誕生して
現在に至るのですね
河合小市さま
天才肌ではあったけれど
それだけではなく
際立っていたのが
物事に粘り強く取り組み
絶対に諦めようとしない執念
強い精神
そんな情熱に溢れたかたは
今の時代に
いるでしょうか
このフレーズに
心震えます
お母さんであり
ピアノの指導者であり
プレイヤーでありたい…
続きはまた明日
今日も
最後までお読みくださり
ありがとうございます
きたざわゆみこ音楽教室
392-0016 長野県諏訪市豊田2068-1
時間:9:00~20:00
定休日:日曜・祝日
体験レッスン受付中